ネット上で、文章を書くということについて

 

 

 

ども。

今日は感想ではないのですが、ちょろっと思ったことを書いていこうと思います。

 

 

今やエロゲだけに限らず、たくさんの商品のレビューや感想で溢れている世の中です。

ツイッターなどのSNSの発展により、そうした感想やレビューが、制作者本人の目にとまる機会も、増えたことかと思います。

また、商品を購入する側としても、レビューや感想を頼りにすることが多いのではないでしょうか?

 

 

さて、前置きはこのあたりにして、本題に入っていきます。

まず、今回この記事を書こうと思った顛末(てんまつ)から話します。

 

 

まず私は「1000文字探偵」というフリーゲームの感想を書きました。

内容は、ゲームの紹介と、良い点と、悪い点です。

 

 

そして

感想をあげた数日後に、制作者本人からコメントがあったのです。

 

 

コメントの内容の一部には「とあるレビューサイトで、非難されていて、ショックで呆然としました」というものがありました。

 

 

確かにゲームの内容は、一発芸に近いものというか、笑える内容だったのですよね。

 

 

「真面目に制作している人に失礼だ」という意見が出るのも納得は出来ます。

しかし、それと同時に「正直、笑った」と称賛している人もいたのです。

 

 

「人と違うことをする」「新しいことをする」という行為には、批判や反発がつきものです。

芸術家や音楽家で、当時は「邪道だ」と評価されなかったけれど、後の時代になってから評価され始めた人はたくさんいます。

 

 

どうかこの「個性」を殺すことなく、自分自身の中にあるものを表現する姿勢を持っていていただきたいと、勝手ながら思ったものです。

批判や称賛がおこるのは、少なくとも「人の心を動かした」ことに他なりませんから。

それって本当に凄いことです。

目立つことなく埋もれていく作品だってたくさんあるのですから。

 

 

……と、まあ、この話も本題じゃないのですよ。

 

 

本題じゃないのかよ!!!

 

 

そう、今回この記事で言いたかったのは

コメント、つぶやき、感想、レビュー、掲示板への書き込み etc……

ネット上に文章を書くということについて、もう一度考えてみる必要があるのではないか?

ということです。

 

 

冒頭で言いましたが、昨今、各作品への感想やコメントを、制作者本人が目にする機会が増えていると思います。

 

 

そこで提起したいのが、「もうちょっと建設的な意見を書こう」ということです。

 

 

作品の感想でただひとこと

「クソ」

と書いても意味が無いのではないですか?

(その作品が多くの人に支持されているか、貶されているかの指標にはなるでしょうけど)

 

 

ましてや

「〇〇は頭がオカシイ」

などの人格攻撃や

「〇〇死ね」

などの、ただの誹謗中傷にまで発展している人もいるほどです。

 

 

批判することは悪いことではありません。

どこがどう悪かったのかを書くべきなのです。

たった一言付け足すだけでも変わってくるのです。

 

 

一言付け足すとどう変わるのか3つの例をあげます。

エロゲの一言感想を例題にします。

 

 


例え――その1

 

 

「クソ」

→「この人はこの作品を気に入らなかったんだ」ということだけが分かります。

 

 

「サンプルCG以外のCGが手抜きだったからクソ」

→「気に入らなかった」「サンプルCG以外のCGが手抜きだった」と2つの情報が入ってきます。

CGを重要視している人には有益な情報になります。

 

 

「サンプルCG以外のCGが手抜きだったからクソ。シナリオはけっこうよくできていた」

→こう書けば3つの情報が入ってきますね。

CGよりもシナリオを重視している人は購入候補に入るかもしれません。

さらに「シナリオは〇〇なところが良かった」と付け足せば、もっと分かりやすくなりますね。


 

 


例え――その2

 

 

「シナリオがクソ」

→その人がシナリオを気に入らなかったことが分かります。ただ「クソ」と書くだけよりも有益な情報だと言えます。

 

 

「ラストが伏線を投げっぱなしで終わったのでクソ」

→こう書けばラストが良くなかったことが分かります。

 

 

「ラストは投げっぱなしで終わったのでクソゲー。共通ルートのキャラ同士の掛け合いは楽しかった」

→こう書けば、シナリオを重視している人はもちろん、シナリオの整合性はあまり気にしていなくて「楽しい掛け合いが見れればオッケー」という人にもアプローチできるのです。


 

 


例え――その3

 

 

「Hシーンが使えなかった」

→その人がHシーンを気に入らなかったことが分かります。

 

 

「Hシーンは、着衣エッチばかりで使えなかった」

→その人が着衣エッチが嫌いだったために批判していることが分かります。逆に着衣エッチが好きな人には有益な情報になります。

 

 

「Hシーンは着衣エッチばかりで使えなかった。フェラシーンが多めなのは良かった」

→こうすれば着衣エッチが好きな人や嫌いな人と、フェラが好きな人や嫌いの人に役立つ情報になるのです。


 

 

余談ですが、この例題に反して私は着衣エッチは好きです。

……マジでどうでもいいですね。スイマセン。笑

 

 

閑話休題

 

 

どうですか?

たった一言付け足すだけでもそのコメントの価値が上がっていくのです。

細かく書いていけば、さらに有益な情報へとなっていきます。

 

 

細かい分析が出来ないならば、印象批評(感想)でもかまいません。

 

 

ネット上に書いた文章は、「いつ誰の目にとまるか分からない」ということを常に念頭に置いて、ただの悪意だけの言葉を並べるのは、どうか控えていただきたいです。

 

 

といっても、批判されても仕方ないような事柄もあるでしょうし、そこはなんとも言えないんですけどね。笑

それに私の主張とは矛盾してしまうのですが、人の目を気にしすぎて言いたいことが言えなくなっては本末転倒なんですけどね^^;

 

 

ポイズン~♪

 

 

あーだこーだと語ってきましたが、

私自身だって気をつけなければいけないことですので、身につまされる思いです。

 

 

最近知ったのですが、エロゲー制作会社の人がこのブログをご覧になってくださったりすることもあるようで、改めてただの悪意があるだけの文章は控えようと思いました。

当然言いたいことは言うようにします。

 

 

前々から思っていたことでしたが、いい機会でしたので、書かせてもらいました。

それでは~。

 

 

 


※追記――2017年10月3日

「建設的な意見」かどうかは情報の客観性で判定すべき』との意見をいただきました。

おっしゃる通りで、情報の客観性があるほうが、「より建設的」な意見だと言えると思います。

正確な事実に基づいた情報を心がけましょう。

大切なことだと思いましたので、追記しました。

 

 

 

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10 thoughts to “ネット上で、文章を書くということについて”

  1. まあ、あまり気にせず直感でコメントして欲しいと思います。
    コメントして頂けるだけでモチベーションに繋がります。
    悪い所の指摘は改善点といいますか、むしろ次回のためにもありがたいです。
    悪意のあるコメントも多少はあったほうが面白いかな。(炎上とかは困るけど)
    せっかく匿名でコメントしてるんだから、気を使わずやってくれないとつまらないです。
    傷つく人もいるから、コメントする相手は選んでー
    1000文字探偵は今はあれだけど、そのうち印象も変わっていくんじゃないでしょうか。
    次の作品が出るころには面白いことに巻き込まれてるかもよ。

    1. >しのさん

      お! なんだか前向きになってますね~!

      まあ確かに反応がないのも寂しいですし、気軽に意見することも必要ですね。

      面白いこと? ……気になります!
      もちろん次回作が出たら、プレイさせていただきますよ。

  2. 「もうちょっと建設的な意見を書こう」は非常に良かったと思います。
    しかし、「3つの情報」のように情報の量で建設的かどうかを判定するのは違うように思います。
    「建設的な意見」であるかどうかは、客観的事実に対して批評するのか、合理的理由を述べない趣味嗜好に基づいた批判であるかで判断すべきではないでしょうか。
    「伏線を投げっぱなし」なら回収していない伏線が多数あるという客観的事実を示していますが、「クソ」ではただの趣味嗜好に基づいた批判です。
    「着衣エッチばかりで使えなかった」は、「着衣エッチ」以外が少ない客観的事実を示しているものの、判断基準は「着衣エッチ」以外を好む当人の趣味嗜好に基づいた批判です。
    もちろん、客観的事実が含まれているので、純主観の「クソ」などよりは遥かにマシです。
    尚、趣味嗜好で論じていても、大多数のユーザーの嗜好傾向と作品内容が一致しない客観的事実を指摘するなら建設的でしょう。
    というように、「建設的な意見」かどうかは情報の客観性で判定すべきではないでしょうか。

    ……………「どこがどう悪かったのかを書く」とは、このような感じでよろしいでしょうか?

    1. >ギャルゲ好きのノベルゲ嫌いさん

      非常に鋭くて素晴らしい意見をありがとうございます。
       
       
      少し説明をさせていただきますと
      建設的:現状をよりよくしていこうと積極的な態度でのぞむさま。
      ということで、主観的な意見であっても「一歩踏み込んで伝えようとしている文章」は建設的だという風に捉えていました。
      ですので、ただ「クソ」と批判するよりも、「あと一言付け足すだけでも情報の価値が上がる」ということを伝えたくて今回の記事を書いた次第です。
      どうしても客観性のある文章を書くことができない人もいるでしょうしね。そういう人のために「例え」の文章を挙げたのです。
      「ギャルゲ好きのノベルゲ嫌い」さんのように客観的な意見を言える人向けではなく、「クソ」という意見しか発しない人へ向けた文章だということです。一歩踏み出してもらうための記事……といったところでしょうか。
       
       
      しかし
      >>「建設的な意見」かどうかは情報の客観性で判定すべきではないでしょうか。
      とありますが、
      おっしゃる通りだと思いました。
       
       
      正確な事実に基づいた文章こそが大切であることは確かだと思います。
      事実に反したデマを流すなんて以ての外ですしね。
      「ギャルゲ好きのノベルゲ嫌い」さんの文章は非常に建設的な意見だと思います。
      ご意見ありがとうございました。

      ※大切な意見だと思いましたので、今回のご指摘を本文に追記させていただきました。

      1. 追記です。
        正確な事実のほか、評価基準を示すことも大事です。
        評価基準が明記されていれば、その評価基準が妥当かどうか、第三者が検証できます。
        評価基準が明記されていないと、事実から結論を導く過程が妥当かどうか検証できないので。
        「着衣エッチばかり」という事実に対して、何故、着衣エッチだけではダメなのかとか。

      2. ちなみに、「クソ」という意見しか発しない人は、「クソ」という意見しか書けないのではなく、「クソ」という意見しか書こうとしていないのだと思います。
        他人が「クソ」としか言わなかったのであれば、テレパシーでもなければ、その想いの根源を見ることができません。
        しかし、自分が「クソ」と思ったのであれば、その想いの根源は自分の頭の中にあるはずです。
        その想いの根源を見つめ直し、よく考えれば、何故、「クソ」と思ったのかは整理できるはずです。
        直感的に感じ取ったことを文章にまとめるのは面倒ですが、時間さえかければまとめられるはずです。
        他人とコミュニケーションを取る気がないなら、「クソ」という意見を発する意味はありません。
        他人とコミュニケーションを取る気があるなら、自分の中にしかないものは自分で表現するよりありません。
        自分がするべき努力を怠り、他人に察しろと言うのは身勝手でしょう。
        なので、「クソ」という意見しか発しない人の意見を私は相手にしません。
        以上を踏まえると…

        >ただ「クソ」と批判するよりも、「あと一言付け足すだけでも情報の価値が上がる」ということを伝えたくて今回の記事を書いた次第です。

        これはあまりに寛容すぎるかなと思います。
        「クソ」という意見しか発しない人には「なめとんのか、コラ」で十分かと思います。

        1. >ギャルゲ好きのノベルゲ嫌いさん

          なるほど、寛容すぎですか。
          確かに「クソ」としか発言しない人は、自分の考えをまとめる気すらないのかもしれませんね。
          なにを言っても聞いてくれないのでしょう。
          なんだか悲しい現実ですが、そういうものなんでしょうね……

    1. >しのさん

      くっそワロタwww
      からあげ対決は面白い。天才的ですね。笑

      むりやりコメントのやりとりと掛け合わせて紹介してきたのも、なんだか憎いです。
      ちなみに「ギャルゲ好きのノベルゲ嫌い」さんとはもめてませんよ。
      意見をいただけるのはありがたいですし。正確な事実に基づいた文章の大切さは、私も理解しています。

      1000文字探偵の隠しルートは存じ上げています。
      でも追記してしまうと、1000文字ピッタリで書いた記事が台無しになってしまうので、追記しませんでした。

      1. >ちなみに「ギャルゲ好きのノベルゲ嫌い」さんとはもめてませんよ。

        私も同じ認識です。が…

        見解が一致しないときこそ、一致しない原因を探るための意見交換は貴重だと思います。
        どんなに違う見解であろうとも、説明と理解の努力を双方が尽くす限り、分かり合える余地はあるはずです。
        分かり合えない原因は、考え方が違うことが原因ではなく、一方(または双方)が説明または理解(あるいは両方)の努力を放棄するからだと思います。

        そして、説明と理解の努力を尽くしていれば、「クソ」のような他人を貶したり蔑む言葉を発する必要は全くないはずです。
        しかし、説明を求めると「クソ」のような他人を貶したり蔑む言葉しか発しない人もいます。
        そういう人は説明と理解の努力がゼロです。

        以上を踏まえて、単に、説明と理解の努力を尽くしているだけなのに「お前の意見を押し付けるな」と言われることがあります。
        そういうときは、
        「いやいや、押し付ける気があったら、相手に判断させる余地なんて与えませんよ」
        「手を替え品を替え説明するのは、相手が判断するための材料が必要だからですよ」
        「押し付けるつもりなら、わざわざ面倒なことをせずに楽な手段を選びますよ」
        と言いたくなります。

        一言でまとめると、議論と喧嘩は違うよと。

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