エロゲの感想や批評を書く行為も、ある種の創作活動といえるだろう。
今日も今日とて、椅子にすわってキーボードを操作し、文章を書いている。
しかし筆が進まない。
フッと体を動かすと、天から何かが降りてきた。
ピキーンと体全体をつらぬくそれは、まるで稲妻のよう。
もしや……
これが天啓というやつか。
選ばれし才人にしか降りてこない天啓なのか。
私の体はくの字形に折れ曲がったまま、椅子から崩れおちる。
体中をなにかが蝕んでいる。
コイツの正体を、私は知っている。
――痛みだ。
この状況に当てはまる単語が頭のなかに浮かび上がった。
――ぎっくり腰。
そう、これは世間一般でいうところの「ぎっくり腰」なのだ。
激痛により動かなくなった体。
しかし思考と口だけは動かすことができる。
「創作には苦痛が伴うってこれのことだな」
「はは……」
私のつぶやきは、虚しく室内にこだました。
苦しそうにうめき声をあげる男と、秒針をきざむ音が、空間を支配していた。
私は、2日まえのことを思い出す。
当サイトのトップページのつぶやき欄にて、さり気なく誕生日であることをアピールしてみたが、誰にも気づいてもらえなかったなぁ。
体よりも心が痛くなった。
人生とは無情である。
―― special thanks ――
今月まったく感想記事をアップできていないのはこの子のせい。そろそろ重い腰をあげて、感想を書きはじめたいです。
批評も一種の創作活動であること、創作には苦痛がともなうことは本作において示されています。
同時に、それらの素晴らしさについても描かれていました。
創作者に天啓がおりてくることがある事例は、本作において示されています。
星奏ルートの展開を、ライターの天啓によって書き換えられたのは周知の事実。
公式サイトにて公開されていたコンセプトからは外れてしまい、予約買いをして支えてくれた層の一部を裏切る形となってしまいました。
しかし、当作品のことを好いている人もいるのです。