ネット上で、文章を書くということについて

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ネット上で、文章を書くということについて

2017年2月8日 古城

 

 

 

ども。

今日は感想ではないのですが、ちょろっと思ったことを書いていこうと思います。

 

 

今やエロゲだけに限らず、たくさんの商品のレビューや感想で溢れている世の中です。

ツイッターなどのSNSの発展により、そうした感想やレビューが、制作者本人の目にとまる機会も、増えたことかと思います。

また、商品を購入する側としても、レビューや感想を頼りにすることが多いのではないでしょうか?

 

 

さて、前置きはこのあたりにして、本題に入っていきます。

まず、今回この記事を書こうと思った顛末(てんまつ)から話します。

 

 

まず私は「1000文字探偵」というフリーゲームの感想を書きました。

内容は、ゲームの紹介と、良い点と、悪い点です。

 

 

そして

感想をあげた数日後に、制作者本人からコメントがあったのです。

 

 

コメントの内容の一部には「とあるレビューサイトで、非難されていて、ショックで呆然としました」というものがありました。

 

 

確かにゲームの内容は、一発芸に近いものというか、笑える内容だったのですよね。

 

 

「真面目に制作している人に失礼だ」という意見が出るのも納得は出来ます。

しかし、それと同時に「正直、笑った」と称賛している人もいたのです。

 

 

「人と違うことをする」「新しいことをする」という行為には、批判や反発がつきものです。

芸術家や音楽家で、当時は「邪道だ」と評価されなかったけれど、後の時代になってから評価され始めた人はたくさんいます。

 

 

どうかこの「個性」を殺すことなく、自分自身の中にあるものを表現する姿勢を持っていていただきたいと、勝手ながら思ったものです。

批判や称賛がおこるのは、少なくとも「人の心を動かした」ことに他なりませんから。

それって本当に凄いことです。

目立つことなく埋もれていく作品だってたくさんあるのですから。

 

 

……と、まあ、この話も本題じゃないのですよ。

 

 

本題じゃないのかよ!!!

 

 

そう、今回この記事で言いたかったのは

コメント、つぶやき、感想、レビュー、掲示板への書き込み etc……

ネット上に文章を書くということについて、もう一度考えてみる必要があるのではないか?

ということです。

 

 

冒頭で言いましたが、昨今、各作品への感想やコメントを、制作者本人が目にする機会が増えていると思います。

 

 

そこで提起したいのが、「もうちょっと建設的な意見を書こう」ということです。

 

 

作品の感想でただひとこと

「クソ」

と書いても意味が無いのではないですか?

(その作品が多くの人に支持されているか、貶されているかの指標にはなるでしょうけど)

 

 

ましてや

「〇〇は頭がオカシイ」

などの人格攻撃や

「〇〇死ね」

などの、ただの誹謗中傷にまで発展している人もいるほどです。

 

 

批判することは悪いことではありません。

どこがどう悪かったのかを書くべきなのです。

たった一言付け足すだけでも変わってくるのです。

 

 

一言付け足すとどう変わるのか3つの例をあげます。

エロゲの一言感想を例題にします。

 

 


例え――その1

 

 

「クソ」

→「この人はこの作品を気に入らなかったんだ」ということだけが分かります。

 

 

「サンプルCG以外のCGが手抜きだったからクソ」

→「気に入らなかった」「サンプルCG以外のCGが手抜きだった」と2つの情報が入ってきます。

CGを重要視している人には有益な情報になります。

 

 

「サンプルCG以外のCGが手抜きだったからクソ。シナリオはけっこうよくできていた」

→こう書けば3つの情報が入ってきますね。

CGよりもシナリオを重視している人は購入候補に入るかもしれません。

さらに「シナリオは〇〇なところが良かった」と付け足せば、もっと分かりやすくなりますね。


 

 


例え――その2

 

 

「シナリオがクソ」

→その人がシナリオを気に入らなかったことが分かります。ただ「クソ」と書くだけよりも有益な情報だと言えます。

 

 

「ラストが伏線を投げっぱなしで終わったのでクソ」

→こう書けばラストが良くなかったことが分かります。

 

 

「ラストは投げっぱなしで終わったのでクソゲー。共通ルートのキャラ同士の掛け合いは楽しかった」

→こう書けば、シナリオを重視している人はもちろん、シナリオの整合性はあまり気にしていなくて「楽しい掛け合いが見れればオッケー」という人にもアプローチできるのです。


 

 


例え――その3

 

 

「Hシーンが使えなかった」

→その人がHシーンを気に入らなかったことが分かります。

 

 

「Hシーンは、着衣エッチばかりで使えなかった」

→その人が着衣エッチが嫌いだったために批判していることが分かります。逆に着衣エッチが好きな人には有益な情報になります。

 

 

「Hシーンは着衣エッチばかりで使えなかった。フェラシーンが多めなのは良かった」

→こうすれば着衣エッチが好きな人や嫌いな人と、フェラが好きな人や嫌いの人に役立つ情報になるのです。


 

 

余談ですが、この例題に反して私は着衣エッチは好きです。

……マジでどうでもいいですね。スイマセン。笑

 

 

閑話休題

 

 

どうですか?

たった一言付け足すだけでもそのコメントの価値が上がっていくのです。

細かく書いていけば、さらに有益な情報へとなっていきます。

 

 

細かい分析が出来ないならば、印象批評(感想)でもかまいません。

 

 

ネット上に書いた文章は、「いつ誰の目にとまるか分からない」ということを常に念頭に置いて、ただの悪意だけの言葉を並べるのは、どうか控えていただきたいです。

 

 

といっても、批判されても仕方ないような事柄もあるでしょうし、そこはなんとも言えないんですけどね。笑

それに私の主張とは矛盾してしまうのですが、人の目を気にしすぎて言いたいことが言えなくなっては本末転倒なんですけどね^^;

 

 

ポイズン~♪

 

 

あーだこーだと語ってきましたが、

私自身だって気をつけなければいけないことですので、身につまされる思いです。

 

 

最近知ったのですが、エロゲー制作会社の人がこのブログをご覧になってくださったりすることもあるようで、改めてただの悪意があるだけの文章は控えようと思いました。

当然言いたいことは言うようにします。

 

 

前々から思っていたことでしたが、いい機会でしたので、書かせてもらいました。

それでは~。

 

 

 


※追記――2017年10月3日

「建設的な意見」かどうかは情報の客観性で判定すべき』との意見をいただきました。

おっしゃる通りで、情報の客観性があるほうが、「より建設的」な意見だと言えると思います。

正確な事実に基づいた情報を心がけましょう。

大切なことだと思いましたので、追記しました。

 

 

 

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