いやぁすっかり寒くなってきて、手がかじかんでキーボードがうてないな。
こんな時はあれだな、あれを使うしか……
あっどうもボクです!
©テレビ朝日
ご存知のとおりスマブラSPにハマっているのと、年末の忙しさとアニメと大掃除と忘年会とで、感想をなかなかどうして、書くことができていません。
こんな時は、雑記に限ります。Yeah!
クソシリアスについて
たまに目にしますよね。「糞シリアス」って言葉を。
ググってみたところ、この言葉の定義はよくわかりませんでした。
私の印象では、つまらなかったり必要性のないシリアス展開のことを「クソシリアス」と呼ぶ人が多い印象です。
たまーに胸糞悪いシリアスや重いシリアスのことを「クソシリアス」呼ぶ人がいて、言葉の定義の違いから喧嘩に発展しているのを見ることも……。
今回は前者の『つまらなかったり必要性のないシリアス展開』という定義で書きます。
クソシリアスってどういう種類があるのでしょうか。
1:キャラの魅力をそこなってしまうシリアス展開
ヒロインの可愛らしさが魅力的な作品でこれをやると、クソシリアス認定される可能性が高いかと。
これは「一貫性のなさ」も影響していると思います。たとえば「〇〇はこんな発言 or 行動をしない」と思われたら、その時点でキャラクターの一貫性が損なわれていると言っていいでしょう。
2:ストーリー展開を台無しにしてしまう
今まで頑張ってきたのに、それがふいになってしまう。今まで積み上げてきたものが、どうでもいいようなことで崩れてしまう。そんな展開のことです。
たとえばスポ根部活もので、急に出てきた悪意のある人間によって、部活が活動停止となってしまったりなど。求めていたものと違う方向のシリアス展開が入ったり、理不尽にさらされるとクソシリアス認定される可能性が高いです。
3:確実にいらないだろ的なやーつ
えっ、それいる? みたいな展開のことです。
たとえば「2人の甘々な同棲生活をひたすら描いています」というコンセプトの作品なのに、喧嘩して彼女が家を出ていってしまう展開があったりなど、求められていたものと違うとクソシリアス扱いされやすいです。
ただ、テキスト描写が上手だったり、その後の展開如何によっては、受け入れられることも。
4:使い古されたテンプレシリアス展開
テンプレシリアス展開自体はいいのですが、その描写が稚拙だと、クソシリアス扱いされる恐れがあります。要は、よく見る展開を微妙な描写でやってしまうと「つまんねー」となる人が多そうです。
5:理解を超えたシリアス
「いや、普通はこんな行動とらないだろ」とか「こんな奴いるわけないだろ」的な、人々の理解を超えたシリアス展開のことです。突き抜ければバカゲーとして評価されることもあります。
私が今パッと思いついたのはこんなところでしょうか。
どうすればこれらを回避できるかといえば
- 上手なテキスト描写
- キャラの発言&行動やストーリーの流れに一貫性をもたせる
- コンセプトや求められているものに沿わせる
などでしょうか。
あとはシリアスとはどういう役割があるのかを考える必要があるのかもしれませんね。
いわば、スイカにかける塩のようなものでしょう。
適量をかければ、甘さを引き立たせることができる。かけすぎれば甘さを損なってしまう。
うん。めっちゃいい例えですね。
スイカにかける塩のようなもの。
リピートアフターミー。
スイカにかける塩のようなもの。
あなたはどっちの切り方が好きですか?
スプーン派? かぶりつく派?
……いかんいかん。
スイカトークを繰り広げてしまうところでした。
(特別好きな訳でもないけれど)
ここで、記事を見てくださったあなただけに、特別な真理を教えます。
これは最近気づいたのですが、障害を前向きに乗り越えるシリアスは好かれやすくて、理不尽さに振り回されるシリアスは嫌われやすいということ。
前者は障害を乗りこえた先にある「達成感」や、ヒロインや主人公の「絆の深まり」を感じられます。
後者はただただストレスを与えられ、それが解消したところでマイナスからゼロになる程度。結局そのシリアスは無駄だったということになるのです。
後者が好かれるシリアスになる道はただ一つ。
大きなカタルシスを用意すること。
理不尽さに振り回されたあげくに、それが解消するだけだと、「クソ」な印象が残ってしまうのです。
そんな印象を大きく乗り越えてしまえばいいだけなのです。
理不尽さをぶっ飛ばすくらいの爽快な展開がかければ、それはもはや格別なおもしろを引き出すシリアスとなっているでしょう。
例外として、理不尽さに振り回されるようなシリアス展開なのに、ギャグ調にして重くなりすぎないようにしたりと、テキスト描写の匠によってクソシリアスを回避しているライターさんもいますが、それはそれで難しいでしょう。
閑話休題。
大きなカタルシスを用意する……簡単に言いましたが、とても難しいことなのかもしれません。
ですが、そうした展開で面白いものを見てみたいですね。
そんな願いを込めて、このお話はここまでとさせていただきます。
最後に言っておきますが、私はシナリオライター及びディレクターの発想の自由を阻害したいわけではないです。
あくまでも自由にシリアス展開を取り入れていただいてかまわないと思っています。
今一度、シリアス展開について考える機会になればと思いました。
以上。
シー・ユー・アゲイン。
※追記――昔の名作とよばれる作品は、シリアスをどのように扱っているのか再プレイしてチェックしたのですが、普通に理不尽展開もおおかったです。
ただ、心理描写などが細やかで、心揺さぶられる展開となっていました。
結局は筆力次第では「理不尽がふりかかってくる」タイプのシリアス展開のほうが、むしろ映える場合もあるのでしょう。