どうも!
クリア済みエロゲがなかったので、とりあえず何かしらの記事をアップしようと思い、今回の記事を作成しました。
「エロゲサイトを運営していて良かったなぁ」と思うことをまとめてみました。
客観的な分析ではなく、個人的な感覚で書いています。
※アイキャッチ画像は、トリノライン。
自分の価値観の洗い出し
「ブログをやっていなくても、自分の価値観ぐらい分かってるわw」という方もいるかもしれません。
しかし、これはブログを運営する何よりの利点だと思っています。
たとえば、とある作品をプレイしていて「面白くないなぁ」と思ったとします。
その原因を考えて、感想記事としてあげることにより、次第に「私はこういう展開が嫌いなんだ」とか「こういう要素が好きなんだ」というのが浮き彫りになってくるのです。
「分析すること」や「考えること」や「考えをまとめる」能力を高めていくことができるのです。
もちろんTwitterなどのSNSで、感想を投稿することによって、同様の効果は得られるかもしれません。
しかし、字数制限があるなかでは書きたいことも書ききれないことが多いですし、スピード感があり流れていってしまうSNS上よりも、こうしてその場に残り続けるサイトやブログの方が、その意義は大きいのではないかと考えています。
記憶の定着
私は、数多くの作品をプレイしているうちに、昔プレイした作品の内容をあまり思い出せないことに気づきました。
しかし、エロゲ感想を書きはじめてからというもの、昔以上に記憶が定着している感覚を得ています。
自分の考えを整理するだけでなく、自分の記憶力の底上げにも一役買っていることかと思われます。
これにより、「あぁ『車輪の国、向日葵の少女』ね。ラストの方の展開が良かったよ。あと灯花が可愛かった。あと法月のとっつぁんが良いキャラしてたよ」と、限りなく薄い印象を呟いてた私とは、さよならbyebyeです。
モチベーションの維持
正直、感想サイトをはじめる前は、作品を途中で詰むことが多かったんですよね。
サイトを運営するようになってからは、「感想を書く」という目的ができた為か、最後までプレイするモチベーションが上がったような気がします。
その他、たとえば地雷作品やクソゲーを引いてしまっても、面白おかしく感想を書くことによって、自分のストレスを解消することができるのは、大きい利点なのかもしれませんね。
それにしても感想を書いていてビックリしたのは、意外とクソゲーの感想はウケが良いということ。笑
交流
サイトを見に来てくれる人との交流も、運営していて良かったと思える事柄です。
もちろんSNS上では、もっと気軽な交流ができるんですけどね。自分の考えを発表し、それに対する感想だったり雑談だったりができるのは、サイトを運営する楽しみの1つです。
私のサイトにコメントしてくれた印象的な人を何人かピックアップします。(名前は一応伏せておきますが)
ユーザーA
けっこう丁寧な言葉遣いのコメントを書いていた方だったんですが、数ヶ月ぶりにコメントをくださったかと思ったら、萌えキャラみたいな口調になっていて、ビックリして目ん玉が飛び出ました。
ユーザーB
コメントをいただいた後、お問い合わせフォームからメッセージをくださいまして、何回かメールでやり取りしました。
色々頼ってくれて可愛らしいというか、弟分みたいな感じです。
ここ数ヶ月は連絡はとっていないですが、元気なのでしょうか。
ユーザーC
「久しぶりにエロゲをプレイします。楽しみで仕方ありません」「パソコンを買ってきました。プレイしたくてウズウズしています」とかめっちゃウキウキで書き込んでくれてたんですが、買った作品が新妻ラブリケーションというバグゲーで、起動すらできなかったらしく、発狂して怨嗟のコメントを残して去っていった方。
なんだかやるせない気分になりました。
ユーザーD
20年(近く)ぶりにエロゲーマーとして復活したレジェンド。
ユーザーE
台湾人エロゲーマー。私に「HENTAI」の何たるかの気付きを与えてくれました。
ユーザーF
熱量の高い長文を書いてくださり、文章の最後には「エロは世界を救う」という名言でしめくくってくださった鉄人。
このように、色々な人と交流できる楽しみがあります。
感想に共感していただけるのも嬉しいですが、自分の意見とは異なった意見を知れたり、想定していなかった攻略法を提示していただいたりするのも面白いですし、刺激になります。
しかしまぁ失礼な態度で書き込んできたら、こっちも失礼な態度で返してしまうんですけどね。
助け
当サイトは、ありがたいことに様々な人に見ていただいているようで、「クロスチャンネル」の感想記事では、回収し忘れたCGの取れる場所を教えてくれた人がいましたし、「ViotoXica」の感想記事では、取れないと思っていたアイテムの回収方法を教えてくださった方がいました。
本当にありがたい限り。
今でもたくさんの感謝の気持ちと、わずかなスケベ心を胸に、更新を続けています。
能力の向上
気軽に投稿できるSNSとは違い、文章の推敲をする必要性が高いブログを運営することで、文章能力の向上が見込めます。私も少しづつ進歩しているんだと信じたい。笑
振り返ってみると、見るからに私の初期の感想は書きたいことを書きなぐっているだけの文章で、見るに耐えないです(でも面倒くさい潔くないので修正はしません)。だから進歩しているとは思うんですけどねぇ。
あとは長文の感想を書くには、言いたいことを「伝わりやすい順番」に組み立てて書く必要があるので、段取りや組み立てる能力も向上するのではないかと思います。
「会話するのが苦手だ」という人は、言いたいことを道筋だてて書く能力を鍛えれば、幾分か会話をするのが上手になるのではないでしょうか。(他には頭の回転、会話の引き出し、会話の経験が必要かとは存じますが、何もしないよりはマシかと)
今の自分を切り取っておける
これは日記なんかと同様の利点だと思います。
人の価値観なんて、年齢や立場や人生経験とともに変わっていくでしょうし、物事の捉え方なんてそのときの心情や、自分を取り巻く環境によって変わることもあります。
感想や所感を書いて残しておくということは、そうした「今の自分」を切り取っておけるという利点となりまして、それは本当に貴重なことではないかと思うのです。
あとで昔の自分を振り返ってみるのは楽しいですし、新たな気付きを得られるかもしれません。また、初心に帰るキッカケとなったり様々な良い効果があるように感じますね。
まとめ
以上がパッと思いついた利点です。ここに挙げた以外の意義ももちろんあると思いますが。
1つ言えるのは、「世の中に情報を発信する」ということは、それだけで価値があることだと思います。
これを見たあなたもぜひとも世の中に自分の考えを発信してみてください。
追記――自分の意見を発信することの恐怖
コメントにて、文章を発信することの怖さ……について触れられていたので、私見を述べさせていただきます。
いやね。自分の意見を発信するのって、本当に怖いんですよ。
好き放題いえる匿名の掲示板なんかはともかく、(出しているのはハンドルネームだけだとしても)特定の個人として意見を発信することは怖いことです。
それは、多くの批判や誹謗中傷、価値観の否定をされるリスクがつきまとうからです。アンチに付きまとわれる可能性だってあります。
しかし「批判をされる意見」というのは、「人の心を動かすことのできる意見」だと言い換えることができます。
多方面に気を使って「当たり障りのない意見」を書きさえすれば、批判されるリスクが少ないでしょうけど、そんな当たり障りのない意見を発信することに意味はあるのでしょうか。
あなた個人の心の底から湧きでる言葉だからこそ、人の心は動かされるのだと思います。
多くの人に批判される意見だとしても、「同じような考えを持っている方」には救いの言葉に感じるかもしれません。「よくぞ言ってくれた」と。
自分に正直に言葉を発することこそ「誠実な態度」なのだと思うのです。
たとえ炎上して1000人のアンチが生まれようとも、そんなの日本の人口からすれば、えっと何%なんだ……分からないけど、とにかくそんなものは雀の涙です。
気にしていてはやっていけません。
……と自分に言い聞かせて、攻撃する時のスライムのようにプルプルと震えながら記事の投稿ボタンを押しました。そんな臆病な私でもこうして運営できているのですから、あなたも大丈夫ですよ。笑
こうした「心の強さ」を手に入れられることも、サイトを運営していく利点なのかもしれませんね。
追記2――なんでも言っていい訳じゃないですよ
言葉足らずだったかもしれないので、さらに追記。
言わなくても分かっていると思いますが、「言いたいことをいうべき=何でも言っていい」というわけではないですよ。笑
最低限の節度は守るべきですし、ソースがないデマ記事をあげてはいけません。
ネット上で文章を公開する以上は、「人が読む」ということを意識しましょう。
でないと、日記にでも書けばいいわけですからね。
たとえば「〇〇氏ね」みたいな内容を書いても、大多数の人が不快になるだけです。
だったら、「私が〇〇な性格の人を苦手な3つの理由」という記事を書いた方が、見た人のためになる幾分かマシな記事になるとは思いませんか?
場合によっては炎上するのも仕方ないことだとは思いますが、自ら炎上させにいく必要はないでしょう。