ちわっす。
今日はエロゲの批評とか読み解きかたについて、浅~くお話したいと思います。笑
べつに全然むずかしい内容ではありません。深い内容でもありません。
もし書籍化したら「猿でもわかる〇〇」みたいなタイトルにされそうな感じのやつです。
なんかいつもみたいなノリと勢いにまかせた文章を書く気分ではなかったので、わりとしっとりとした文章を書いていこうと思います。
(しっとりとした文章ってなんだろう……?)
アイキャッチ画像は「紙の上の魔法使い」から引用しました。
エロゲの読み解きかたや批評について
評論の手法
批評にはさまざまな種類がありますが、今回は以下の3つを紹介します。
作家論
→ 作家個人を対象にした文学研究のこと。
作品論
→ 作家の意図をふまえて物語を読み取ろうとする。
テクスト論
→ 作家とは切り離して、文章だけから作品を読み取ろうとする。
人の発言を見てみればわかりやすくて、たとえば
「麻枝准は〇〇を書く傾向がある」
とか語っていれば作家論をしています。
「この作品のテーマは〇〇だ。作者の意図は〇〇だ」
とか言っている人がいれば作品論をしているのです。
これは思い込みかもしれませんが、新島夕さんはめっちゃ作家論で語られているような気がしています。笑
そもそも日本語は主観性の高い表現が特徴的である
たとえば
「エロゲを買いたい」
「I want to buy eroge.」
日本語だと「私は」という主語が隠れています。
英語では「I」という主語が必要になります。
「外に出たら、月が綺麗だった」
「When I went out, I thought the moon was beautiful.」
こちらの文章も「外に出た」のは「私」だし、「月が綺麗だと思った」のも「私」なのです。
つまり日本語は自然と主観性が高い文章になっていることがおおく、
英語は「私」をも客観的に表現している言語なのです。
日本語のテキストのほうが、自然と作者の意図が入り込みやすくて、英語のテキストのほうが客観的になりやすいのです。
そう考えると、日本文学において「作家論」は親和性が高いのでしょう。
余談ですが、
ムスカが「目が、目がぁ〜!」と痛がっているシーンなんかは「My eyes! My eyes!」と表現しなきゃいけないわけです。
クッソ煩わしい。
日本語さいこー!笑
作家論とテクスト論のどっちがいいか?
結論……そんなもん知らん!ドドンッ
複数の作品から関連する部分や、作家のクセを見極めるのはとても楽しい作業でしょう。
作品内だけでなく、他作品やインタビューもふまえて作者の価値観から読み取ろうとすると物語の「答え」が見えてくるかもしれません。
しかし作家論に囚われてしまうと、物語を枠にあてはめて簡単に理解をしようとしたり、色眼鏡をかけたような狭い見方になってしまう可能性があります。
なので私はどちらかというとテクスト論で読み取ろうとしています。
人によって読み解き方はさまざまでしょう。
作家論や作品論を得意とされる方の意見もぜひとも聞いてみたいです。
エロゲの作家論には注意が必要
ここでちょっぴりダサい僕の話。
メーカーさんの意向で企画、設定、監修をしたけどナイショのPCゲーム案件が多々あるのですが。
僕のコトを嫌いなPCゲームファンが、それらを大好きなゲームに上げているのを見るとたまらなくニヤニヤしますね。
キミら、本当は俺のコトを大好きなのだよ……。
— サイトウケンジマン (@saitoro193) September 18, 2020
エロゲの場合は、ライターが表立って叩かれたり褒められたりすることが多いですが、ライター1人で全てを決めているわけではありません。
また、
「ヒロインAのルートを担当した〇〇はクソ」と暴言を吐いているユーザーがいたけれど、実はまったく違う人が担当ライターだった……というパターンは往々にしてあります。
「〇〇さんのシナリオは最高だぜ」と絶賛しているユーザーがいたけれど、実はそのライターは途中で投げ出していて、ゴーストライターが書いていた……なんて話も昔は聞きました。
そういう例をみると、作家論というよりは確証バイアス(自分の信じている情報だけを集めてしまう)や思い込みに支配されている人もいるんじゃないかと思うのです。
なにが言いたいかというと、エロゲで作家論をやる場合は、文章だけでそのライターのすべてが分かるとは限らないことは留意するべきだと思います。
あと作品の批評とは、作品を使った「二次創作」行為のようなものですので、原作へのリスペクトをもつべきです。
言いたいことを言うのはいいですが、少しぐらいは言い方に気をつけましょう(自戒をこめつつ)。
私の読みかた
せっかく日本語は主観的に読みやすくなっている言語ですし、私は出来る限り視点をさげて、登場人物に寄り添うかたちで、感情を大きく動かしながらプレイをするのが好きです。
感想もできるかぎりは、物語のなかで描かれていることだけを元にして書こうと思っています。
ただ、やはり入り込める作品はそんなに多くなく、どうしても客観的な見方になってしまうこともありますし、感想を書くときに作家論や作品論を用いることがあります。
ま、そんなに難しく考えすぎても仕方ない。
エロゲプレイ中はできる限り余計なことを考えずに、作品のなかに入り込むことだけは意識しています。
共感的な人と論理的な人
作品を楽しむときや語るときにおいて、2種類の方法があります。……あるような気がします(弱気)。
共感的な楽しみ方 → 物語それ自体を味わって楽しみます。
論理的な楽しみ方 → 物語を分析することを楽しみます。
これは正式な名称ではなく、ただなんとなく分類しただけです。すみません。
論理的な見方をする場合、物語を解釈する鍵はすべて物語のなかに書かれている、あるいは登場人物の行動や発言にはたいていの人が理解可能な合理的な理由がある、という捉え方をします。
しかし、作家のなかには登場人物の行動や発言に深い意味や理由などはないと考えている人もいます。草木や花など、ただそこにある「自然物」のようなものだと捉えているような人なのでしょう。私もどちらかというと、人の行動はときに理解できなかったり、ときに衝動的であったり、一貫していないこともあるのではないかと思います。
同じ作品の感想でも「これこれこういうところが矛盾していて~」と批判する人もいれば、「〇〇なシーンが刺さったから好き」だとか「〇〇なキャラの〇〇な部分が可愛かった」とか細かな矛盾よりも共感的な楽しみを見出している人もいるんですよ。
作品の評価が人によって違ってくるのはこういうところも一因なのでしょう。
私はどちらかというと共感的に楽しむのが好きですね。細かい矛盾や不満なんて、刺さる部分があればわりと吹き飛ぶのです。笑
感想を書くときは、見ている人が納得してくださるように、多少は論理的に書こうともしますが。
まとめ
ということでツラツラと、物語の読み方や批評について書かせていただきました。
もっとハイテンションに書きたかったのですが、どうしても気分がのらなかった……。
あまり深いことは書けませんでした。
ぜひとも学のある方の見識をうかがってみたいです。
それでは~。